はじめに
ふとしたことで心がざわつく。言葉にできない感情がこみあげる。
「こんなに怒ることじゃないのに」「なんでこんなに怖くなってしまうんだろう」
そんなふうに、自分でも自分の反応に戸惑ってしまうことはありませんか。
日々の生活の中で、過去の記憶が呼び覚まされるような瞬間は、思っている以上に多くあります。
特に、それが子ども時代のつらい体験と結びついているとき、
私たちは「いま目の前の出来事」以上の強い反応をしてしまうことがあるのです。
幼いころの体験は、いまの自分に生きている
「そんなこと、もう何十年も前の話なのに」
「過去のことはもう乗り越えたはずなのに」
そう思いたくなる気持ちもあります。でも、心というのは、「時間」で割り切れるものではありません。
特に、幼少期というのは、私たちの土台となる時期です。
たとえば、いつも怒っていた親の姿を見ていた子どもは、「怒り=こわいもの」として記憶します。
そして大人になった今でも、上司の語気が強くなっただけで、心と体がびくっと反応してしまう。
また、親の体調が悪く、子どもながらに我慢したり、気をつかったりしていた人は、
今でも「自分の感情より、相手の状態を優先してしまう」といった反応が出やすくなります。
これは「性格」のせいではなく、かつての「生き延びかた」の名残でもあるのです。
「自分を責めない」ために、過去の自分を知る
いまの自分の反応が、「昔の経験」と関係していると気づいたとき、
大切なのは「だから自分はダメなんだ」と思うことではありません。
むしろ、「あのときの自分は、そうせざるを得なかったんだな」
「その反応で、自分を守っていたんだな」と、過去の自分に目を向けることです。
過去を思い出すことは、決して楽な作業ではありません。
でも、その記憶に寄り添うことができると、
「なぜ自分はこう感じるのか」「なぜこうしてしまうのか」という問いに、
少しずつ答えが見えてくることがあります。
感情の奥には、「かつて言えなかった気持ち」がある
怒りの裏に、こわさやさみしさが隠れていることもあります。
無力感の影に、かつて助けを求められなかった悲しさが眠っていることもあります。
もしもあなたが、つらい記憶に少しでも触れられる状態であれば、
そのとき言えなかった言葉や、抑えてきた感情に、心の中で語りかけてみてください。
「よくがんばってきたね」
「ほんとうは、あのとき、怖かったんだよね」
「苦しかったのに、誰にも言えなかったんだよね」
それは、過去を掘り返すというよりも、
今の自分が、過去の自分の「味方になる」作業なのかもしれません。
おわりに
過去は変えられません。
でも、過去と「どうつきあうか」は、今の自分が選ぶことができます。
いまのあなたの反応は、過去の経験が「いまも大切に守っている何か」があるからこそ。
そのことに気づけたあなたは、もう一歩前に進む準備ができているはずです。
あのころの自分に、今のあなたが灯りをともすように。
この場所が、その小さな航路の一助になれば幸いです。
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